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あいざわさんちの沖縄カルチャーショックその5 イメージ

今回のお題=さらば愛しの三菱ミニカ…の巻

 車とバスが主流の沖縄も戦前は鉄道が那覇から嘉手納まで通っていました。「軽便鉄道」といったそうです。戦後、アメリカの占領下で主要な土地は米軍基地にされ、鉄軌道を復活させることはできないままです。
 車が無いとどうにも動きが取れない我が家も、仙台から送った只一台の愛車が那覇新港に到着するのを一日千秋の思いで待ち受けたのです。2年前、次男が生まれたのを機に購入した三菱ミニカ…。
その日、港までどうやって行ったのかはよく覚えていません。国道58号線の最寄りバス停からは親子4人テクテク歩いて行ったのかもしれません。距離にして2キロぐらいですが暑くてたまらなかったことは覚えているのです。そんなこんな…ようやく会えた青いミニカがえらく懐かしく感じました。
 さて、港から車を走らせて初めて、沖縄が右側通行だったことを思い出した。突然の本番です。「どうする?」ままょ走るしかない!緊張で体も硬く、交差点で左折するのについ大回りして相手車線に入りそうになる…無事自宅についた時はドッと汗が噴き出ました。
それから間もなくそんな走りにも慣れ、逆に本土でたまにハンドル握って自然と右側を走ろうとしている自分がいたりして・・・
 しかし塩害ってすごいですね。他県だったら10年以上は持つはずの新車ミニカが「ボロ」になるのにたいした時間はかかりませんでした。
でもあの頃って街で見かける車も、あちこち穴あきだったりつぎはぎだらけや片目だったり、かなりものすごかったので、あまり引け目は感じませんでした(何の自慢だ〜)だがぁ!遂に雨の日、床に空いた穴から泥水が車内に上がってくるようになり〜。夫のゼミ生からも「先生可哀想」と同情されるに至って・・・さらばミニカとなった次第。
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